風見鶏の館の真実
2016/02/28
広瀬毅彦さんという方が書かれた『風見鶏 謎解きの旅』という本を読んでいます。
この中のエピソードが結構面白かったので、いくつか紹介します。
1.本当の建築年は一般的に神戸市が公表しているものと異なる
この本の最も大きな主張は、この部分です。今風見鶏の館の公式ホームページをみても、建築年は、明治42年(1909年)頃と書かれています。でも本当の建築年は1905年だそうです。
これは建築当時に住まわれていた家族の娘さん(エルザさん)の回顧録や、当時の外国人の住所記録、設計図に記載されている年月など様々な証拠が存在するそうです。なのに神戸市側は家屋台帳に記載されている1909年を頑として譲らないのだとか。でも本当は、そうだと分かっていても訂正しづらい何らかの事情が神戸市側にあるんでしょう。
そういえば、風見鶏の館の中のある解説文に『○○年築、但し○○年という説も』という解説がありました。ふーん、築年がはっきりしないんや、と思った記憶があります。恐らく『1909年築、但し1905年という説も』と書いてあったんでしょうね。今度行かれた方、確認してみて下さい。
2.住人トーマス氏は旅行中の戦争で、2度と自宅には帰れなくなった
風見鶏の館の住人は、ゴッドフリード・トーマスさんというドイツ人の貿易商です。娘のエルザさんが上級学校に進学するタイミングで、家族みんなで母国ドイツに旅行に出かけたところ、旅行中に第1次世界大戦が勃発。この戦争で、ドイツは日本の敵国であった事から、日本に帰国できなくなってしまい、さらに風見鶏の館は敵性資産という事で神戸市に没収されたんだとか。
後にトーマス氏は、ドイツで事業に成功し、風見鶏の館そっくりの家をドイツに建てたそうです。
3.風見鶏の館には台所が無い
正確にいうと生活スペースにキッチンが見当たらないのです。確かに見学の時に見当たらなかったなぁ。他の異人館でもあまり見た記憶が無い。当時の異人館に住んでいた外国人は、大層な上流階級で、使用人を何人も抱えていました。風見鶏の館では、8人の使用人がいたんだとか。でこの使用人が使うスペースと、生活スペースは完全に分かれていて、そちらにキッチンがあったそうです。
どうでしょうか?歴史を知れば知るほど、見学をしても面白いですよね。興味があれば、読んでみてください。