六甲山はハゲ山だった話

      2016/03/13

割りと有名な話ですが、
今から100年以上前の話、明治時代の六甲山って、ハゲ山だったんです。
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元々は太閤秀吉が、大阪城築城にあたって六甲山から岩を切り出すのに『草木伐採勝手たるべし』とおふれを出したんですね。それ以降、建材や燃料として次々と樹木が伐採され、森林が激減。

そして明治維新後、開発が加速的に進み、残っていた樹木も乱伐。切って切ってきりまくり、やがては、立派なはげ山に。

ところがこのハゲ山、見た目が悪いだけではなく、雨が降ると水害や土砂崩れを引き起こす。

こりゃいかん!という事で、明治後期、神戸市が植樹を始めたんですね。
その規模は、面積2279ha、740万本とも言われています。

つまり今の緑豊な六甲山の姿は、人工林だったんですね。

六甲山が今はげ山だったら、神戸のファッショナブルなイメージも少し違ったかもしれません。

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