阪神淡路大震災の記憶
2016/02/28
阪神淡路大震災って、もう18年も前の事なんですね。
その日の朝方、もうろうとした意識の中でかなり揺れているなぁという感じと、『危ない!危ない』と叫ぶ妻の声。
結局、揺れ終わるまで起きなかったようです。う~ん・・・
この頃、西明石に住んでいました。震源地の北淡町からは海を挟んで真向かい。
揺れ終わった後、マンションの玄関を開けて、近くで火が出ていないか確認したのを覚えています。
それから丹波に住む親に電話。まぁ、向こうは揺れないですから。何をそんなに騒いでる的な反応。めっちゃ揺れたんや~。
その後車で15分程の妻の両親のところへ行って、無事な事を確認し、家に戻った頃にはすっかり明るくなっていました。
揺れ終わった後は暗くて分からなかった室内の様子が、はっきりと分かります。もうくちゃくちゃ。結婚祝いでもらった大事なワイングラスが割れていたり。
それでもまじめな性分で(^^;) 会社に行こうと駅まで行ったんですけど、駅の惨状を見て、無理!って。
結局一週間行けなかったんですよね。
幸い西明石の町は被害が少なく、倒壊した家も殆どありませんでした。電気が多分1日位、ガスが1週間位で復旧。
少し活断層からずれていていたんですね。明石方面に歩くと、みるみる景色が変わっていきました。
いつまでも記憶に留めておく事が大事と言いますが、人間って忘れっぽいんですね。自分で、こうやって記事を書いていても、記憶が薄れているのが実感できます。
18年と言えば、高校生以下はもう震災を体験していないんですもんね。
人と防災未来センターや、メリケンパークの震災メモリアルパークなど、後世に記憶を残していこうという活動の大切さが分かるような気がします。